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 ● 東北へ
6日夜、札幌からひたすら南下、黒い羊蹄山、懐かしい海を走り雨上がりの函館に
着いたのは午前2時。7時の便から3時の便に変更し船出。
7日朝、青森からまた南下、ふっと思いつき板柳へ、曾祖父の建てたと言われる龍
淵寺へ。両親も生前一度顔を出したようだった。再びお岩木山を見上げながら北
上を目指し、秋田の山越えに四苦八苦、北上に着いたのは15時くらいだろうか。
心の友ジュリアンと再会、お互いの身体のガタを隠しながらほどなくして飲み屋
街へ。北上では有名だと言う花巻の鎌田潤さんの船頭で次から次へと歌い歩く。
ジュリアンは3時くらい。俺と潤さんは完璧に朝帰りだった。
8日朝、気仙沼の離島、大島へ向け出発。ジュリアンの超高速アウディに荷物を積
み替え、潤さんの運転で気仙沼に着く。瓦礫の中、船に荷物を積み替え、大島一
の牡蠣を産んでいたヒロくんの船頭で、気仙沼出身の歌手、熊谷育美さんと大島
の学校の体育館でコンサート。ここは芸能人やマスコミも来ないところで、小林
幸子しか来てないらしい。この日、動員は400、小林幸子の動員は350。勝った、
なんて笑いながら午前2時まで宴は続き、とにかくお爺ちゃんお婆ちゃん達に歌を
唄いまくった。
9日朝、島を周り、その惨状を歩く。この時から地震酔いが始まったと思われる。
皆抱き合い、気仙沼の港町で解散。一旦潤さんを北上に送り、物資支援の仲間達
とお茶しながら意見交換など。その後再び気仙沼の名医鈴木氏の自宅へと。鈴木
氏、ジュリアン、元キックボクサーで世界的パティシエの後藤氏、福よしのあん
ちゃん。そして奥様たち。涙涙のライブでした。そしてこの日の夜だけ、叩きつ
けるような雨が振った。
10日昼、雨上がりのきらめく青空の下、壊滅的と言うものは何かと鈴木氏に尋ね
、陸前高田へ。車を降り数件残った家の駐車場から合掌。言葉はない。一路北上
へ。ボーナ、インターなど一癖ある店で北上の現状など、何より原発問題などを
話し合い…そしてまたハイゼットに戻り、仙台市内へ。地震酔いが酷く、早々に
車を駐車場に入れ、ジュリアン車で仙台の名店を唄い飲み歩く。
11日夕方、仙山線で山形へ。久しぶりのタージ。福島から来たお客さんなども居
て、盛り上がり、居合わせたFM局の方の好意により、急遽スタジオ生ライブが決
定。少太、タージの女将と名酒三昧。山形の女は酒が強い。
12日昼、北海道出身の蕎麦屋のご夫婦の車でビーゴFM局へ。山形工芸大学キャン
パスでイベントを覗き、霊山月山、蔵元さんなどを巡り、もう一晩飲もうとまた
名酒三昧。
13日朝、バスで仙台へ。その後迎えが来てジュリアンの学校でイベント。講堂に
生徒を集めてライブ。200以上の若者の前で唄い、その後の新歓コンパまで話は尽
きなかった。
14日夜はジュリアンと出会ったボーズバーにて少太とライブ。ここから俺の仙台
暮らしは始まったんだなと、センチでファンキーな夜だった。
15日朝、少太は山形へ帰り、ジュリアンは奈良へ。そして俺は久しぶりにぐっす
り眠った。
16日、再び北上へ。潤さんの好意で、再び飲み屋街を唄い歩き復興の作業員達の
中で眠る。
17日17時塩釜の瓦礫の中、フェリーに乗船。三陸海岸に思いを馳せながら、苫小
牧へ。
18日まだ暗い中、何度も不良少年達の夢を見る、飽きてもう起きようかと思った
瞬間に経験した事もない金縛りと言うよりも肩の付け根を無数の手で床に引き寄
せられ、なんとか上手くかわし抜ける。気付くと陽が上り出していた。







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